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事務局・上木啓二さんの作品に対する佐藤愛子先生のご指導




【先生】上木さんのこの作品は、1ページ上段12行目からの「今お帰りですか。理事長、今日は大変だったんですよ」 金子さんの話に私は背筋が冷たくなる感覚に襲われた。

 と、なっているんだけど、ここらへん私、考えたんですよね。この2行っていうのは、別に、要らないんじゃないかなと思うわけですよ。


 ここのところは、上木さんがこだわって入れたのだろうということはわかりますが、この部分にこだわることはないんじゃないかな、と思います。無くても良いんじゃないかな、と思います。

 

 そうすると、ここがなくても良いんじゃないかなと思うと、その前の文章も要らないんじゃないかな、と。いきなり その日の朝、という書き出しに来た方が、文章が生き生きしてくるんじゃないかな、と思うんですよ。


 いいですか、いきなりですよ。この作品の書き始めが、

 その日の朝、いつものように掃除のオバさんが、ある棟の階段を箒で掃いていたところ、二階の二〇五号室の、ブルーに塗られた扉の下のほうになにやら白いものが蠢いている。

 と、なっているほうが、書き出しとしては良いんじゃないですか。

 数年前、管理組合の理事長であったという書き出しが、必要なんでしょうかね。


【上木】はあ、こういう場面に立ち会う必要性といいますか、理由を読者にわかってもらった方が良いかと思いまして。要らなかったですかねぇ。


【先生】うん、だから、そういう説明っていうのは、冒頭にまとめて書くんじゃなくて、あとの文章の中に、砕いて入れて行くことができるんじゃあないかなあ、と。その日の朝、いつものように、という書き出しにすると、素晴らしい文章だと思いますよ。


 それで目を凝らしてよく見ると、どうやらそれは蛆虫らしい。と。しかし、それを見たのは上木さんじゃなくて、掃除のオバさんなんですよね。だから「それを見たのは掃除のオバさんである」 とか 「掃除のオバさんはそれを見て、びっくりした」という説明が、随筆の場合は必要なんですよね。


【上木】先生が言われる通りに、その日の朝から、といきなり作品に入るとすると、ちょっと小説的ではないかと思うのですが、どうでしょうかね。


【先生】いや、だから書き出しの部分が小説的かとか、随筆的かという細かいことには、あまりこだわって考える必要はないんじゃないですかねぇ。もし上木さんに、小説的になることに抵抗があるとしたら、たとえば、なにやら白いものが蠢いている。を、なにやら白いものが蠢いていたという。に変えて、それはオバさんが見たんですよ、ということをはっきりさせれば良いんじゃないですか。


【先生】それよりも、ちょっと文章がおかしいなぁと思うのは、

 金子さんはすぐ私の家に電話したのだが、私は朝早くから東京方面に出かけたという妻の返事であった。と、いう一文で、妻の返事を聞いたのは金子さんの体験ですよね。

 これは何も感じなかったですか。


 皆さんはどうですか、何も感じませんか。


 これは「私」が書いている文章ですから、ここは、「妻の返事であったという」とか、「と、妻は返事をしたらしい」というふうにしなければならないんです。このままでは、「私」が書いている文章としては、おかしいな、ということです。


【先生】それからあの、2ページ上段16行目の、「私はそれ以上無理をして扉を開ける必要を感じなかった」というところ、「私はそれ以上、見ることはできなかった」と書いたら、直接的に自分の感情がストレートに相手に伝わるけれども、「扉を開ける必要を感じなかった」とあると、ちょっと距離がありますよね。


 死者の下半身が一部見えたのだから、もうそれ以上見られなかったというのが、素直な表現になるのではないでしょうか。


【上木】これはですねぇ、何かが扉の向こうで寄りかかってきていて、なかなか扉が開かなかったのです。それで力づくで、15センチほど開けたのですが、死体の下半身が見えたのです。それで、「私はそれ以上無理をして扉を開ける必要を感じなかった」 ということを説明したかったのです。


【先生】なるほど、わかりました。それじゃ「下半身が一部見えた」ということろで、切っちゃったらいかがですか、うん…(しばらく黙考)…。


 「私はそれ以上無理をして扉を開ける必要を感じなかった」という文章を書かれた意味はよくわかりました。でも、この文章はあんまりうまくないわね。でも、私がさっき言った「下半身が一部見えた」ということろで、切っちゃうというのも良くないわね。ここは、じっくり考えたいところですね。うーん…(しばらく黙考)…。


「私はそれ以上無理をして扉を開けるのをやめた」としたら、どうですか。ホッホッホッ……こうなるとね、私は本当にしつこくなるんですよ。


 そのあともねえ、上木さんは、相変わらず筆の運びが本当にうまいなぁと思いますけれどね。最後のまとめの部分でね。2ページ下段の7行目のところから、このテーマに関する、まとめに入るわけですよね。


 ここで上木さんが、七十年、八十年という長い人生を人を愛し、人に愛されて生きてきた果てに、誰にも知られず孤独死して、蛆虫にまみれた遺体をさらすなどという悲惨なことがあっていいものだろうか。と、詠嘆しているわけですけれどもね。


いいのだろうかっ、と言われてもね、そうなっちゃうものは仕方がないんですよ。独り暮らしの年寄りが孤独死して、すぐに発見されなければ、蛆虫にまみれることもある、というのはどうしようもない事実なんですよ、否定しようがない。私なんかは、それが運命ならば、もう仕方ない、受け入れるしかないんじゃないかと思うわけですよ。それはまあ、私の場合は特殊な感じ方かも知れないから、人それぞれですけれどね。


 この作品のまとめは、単なる問いかけになっているんですよ。

 あっていいものだろうかっとか、あるべき姿ではないだろうかっとか、どこかで狂ってしまったのではないだろうかっとか。


 そうするとね、この「おひとりさま」というテーマは、とても良いとおもうのだけれども、結局、その結論は、読者に対する問いかけであって、上木さん自身がこれまで、八十年近い人生を生きて来られて、切実に考えなければならない問題、たとえば「自分は、そういうことにはなりたくない」 という思いが書かれるべきで、上木さんの場合も、本当のところは最期はどうなるかわからないとすれば、そういう切実な心配が書かれていなければいけないと思います。


 それをこの作品では、世の中なんでこうなっちゃんだろうと、結論から逃げているんですよ。結局は 「自分はどうするか」、ということ。自分に戻ってくるんですよ。そこまで書かれていれば、この作品は、もっと良かったのだけれども……。







2015年11月の佐藤愛子先生のご指導から。



【池田】佐藤先生、コンクールの応募者から、お礼状や苦情の手紙がたくさん届きました。それがこれです。(佐藤先生に手紙の束を見せ、石田代表のほうを振り返って) これ、どうすれば良いですか? 私が朗読して、佐藤先生にご披露しますか?


【石田】はい。お礼状のほうから読んで下さい。その方がお互い気分が良いので……。

(池田、入選者からの礼状を朗読)


【先生】はい。皆さんお礼状、ご丁寧にどうも……。 じゃ、今度は苦情の手紙を読んで下さい。その方が面白そうだわ。


【池田】(ボソッと)先生らしいですね。では、読みます。


このたびは私の作品に選者の方々の寸評つけて返却して下さり、ありがとうございます。初めてのことでした。文字がきれいだと褒めていただき、心を込めて楷書で書いて良かったと思います。


私の作品について、上木氏の寸評に、「もう少し人間にかかわるエピソードが必要ではないでしょうか」とありますが、私は承服できませんでした。


そもそも随筆とは、どのようなものでしょうか。 私は随筆の古典と言われる「枕草子」や「徒然草」を読んでも、ふと気がついた小さなものごとを、つれづれなる文章として、書き連ねているだけだと思います。それを読んだ人は、フッと微笑んだり、なるほどねーと、感心するだけでよいのではないでしょうか。


私の作品を読んで、そうかぁと感心してくだされば、それで良いと思います。人間にかかわるエピソードなどは、なくても良いのではないでしょうか。それでは不十分でしょうか。私は、読んでいるうちに胸がきゅんとなって、涙がこぼれ落ちるなどという内容や、読んだ後、考え込んでしまうような内容のものは書きません。それは小説に任せればいいと思います。


随筆春秋の価値観と方針は、私のそれとは違うようです。手紙に書かなくても良いことですが、私の気がおさまらないので書いてしまいました。私は2度と随筆春秋に応募致しませんが、次回から公募をなさるようでしたら、もっと広い心で選んでください。切にお願い申し上げます。


【先生】はぁ。こういうのは、どうにもねぇ……。この人はいったいどんな人なの?男性、女性? おいくつ? どんな作品を送ってきたの?


【池田】初投稿の方で、年輩の女性です。上位20作には入りませんでしたので、先生方には、お見せしておりません。彼女の作品はここに持っておりますが、読みましょうか。


【先生】そうね。読んで下さい。


【池田】(原稿用紙 2枚読んで)先生、お忙しいでしょうから、これくらいで宜しいでしょうか。


【先生】いいえ、続けて下さい。


【池田】(5枚目まで読んだところで)


【先生】はい、もういいですよ。 もうわかりました。このあとも、ずっと情景描写が続くわけですね。


【石田】はい。延々と見たまんまの情景を、思いついたまんま書き連ねている作品です。この作者は、人間を描く事は随筆の本質ではないようなことを言ってきています。私たち審査員がコメントをするときに「もっと人間を描いてください」とコメントすることがあるのですが、そのことについて、あらためて私どもに、先生のご指導をお願いします。


【先生】だからその、情景を書くことによって、自分がどういうことに感動する人間か、ということがわかるように書ければ、情景描写が中心でも良いんですけれどね。随筆の本質というものは、第一に人間を描くということと、第二に己をいかにさらけ出すかということの2つなんですよ。あのぅ、石田さんは、どちらかと言えば 「あったことを淡々と書く」 という作風なんだけど、それに対する自分の感情の説明などは、あまり、しないほうですよね。


【石田】はい。たぶん脚本を長く学んでおりますので、その影響かと思います。脚本の場合は、読んで、それが映像として目に浮かぶ、ということが大事で、それで読者が・・・、


【先生】うん。どう思うか、読者に任せれば良いという。


【石田】自分の気持ちはああだった、こうだったというのは、脚本の場合は書いてはいけないもので、「そんなものは見えないのだから」と言われてしまいますので。その影響が、自分の随筆作品にもあるのかなと思います。


【先生】うん、なるほどね。たとえば、井伏鱒二さんの小説などが、だいたいそういう作風なんですよ。私なんかもひところ、あったことだけ書いて、そしてあとは読者の想像力に任せるという作品を、そういう文体で、意識的に取り入れたことがありますけれどね。やっぱりそれじゃ、わからないんですよ、ええ。


【先生】わからない、わからないって言われて、それで止めたんですけれどね。ある程度、あのぅ、何ていうか、わからせようっていう意味じゃなくて、感じさせるっていうね。わかるっていうことと、感じさせるということは別なんでね。読者に感じさせるっていうことが大事だと、私は思ったの。






2017年12月、事務局ではコンクール優秀賞、佳作選考に関するご指導をいただくためにお伺いしました。このときのお話を抜粋して紹介します。まずは雑談から……。


【石田】 佐藤先生、 「九十歳、何がめでたい。」の大ヒット、おめでとうございます。このエッセイは私たちが普通に感じることを、そのものズバリと書いて下さっているから……。そーなのよ、そーなのよ、という共感を生むから、みんなに読まれるのではないでしょうか。


【先生】 いやぁ、やっぱりあれですね。今の世の中わりに、あのぅ、つまらないことにうるさくなっているでしょう? だからみんな、他人からどう言われるかとか、どう思われるかということばかり考えて生きているから。 それを、お構いなしに言うやつが現れたから、なんか気持ちが良いんじゃないですか? (笑)


【先生】 昔はね、みんな言いたいことを平気で言っていたじゃないですか。だから私なんかのことも、別にめずらしくも何ともなかったけれど、何か、世の中が変わったから……。


【石田】 確かに言葉の使い方にしても、これは差別用語だ、だとか、差別を連想させる恐れがあるから使ってはいけない、だとか、本当に厳しくなりました。


【先生】 もう、うっかり何か言うとね、……本当にうっかりしていられない。


【石田】 でもその最近使えなくなった言葉の中にも、すごく実感がこもるものとか、愛嬌を感じるものとか、味わいがあるものがあったと思うんですけれどもねぇ。


【熊沢】 確かにテレビや新聞でも、最近は言葉の使い方に非常に気を遣うようですね。先生は、そういう傾向を、きちんと把握していらっしゃるんですね。やはりテレビとかも、よくご覧になりますか?


【先生】 いいえ、テレビは昼間は全く見ません。夜もときどき見るかなぁ、という程度ですけれどね。見るもんないですもんねぇ、テレビは……。主に新聞ですね、私の情報源は。テレビで私が好きなのは「アタック25」という番組で、普通の人が出てくるクイズです。


【先生】 以前はほかにも、普通の人が回答者に出てくる番組があったでしょう? ところが今はほとんど、タレントが回答者なんですよね。それじゃあ今ひとつ、面白さがないって言うか……。


【熊沢】 新聞は何紙かお取りになっていらっしゃるんですか?


【先生】 新聞は読売、産経、毎日です。昔ねぇ、私、毎日新聞にエッセイの連載をしていたことがあったんですよ。そのとき私の担当で来ていた朝比奈っていう青年がいたんです。野坂昭如が夕刊小説の連載をやっていたんですが、それも朝比奈君の担当でした。


【先生】 それで野坂さんっていうのは有名な無頼派でしょ?原稿の約束なんか何とも思わない人でしたから、ある日、うちの原稿を取りに来た朝比奈君が玄関に立ちつくして「野坂先生が行方不明で、今日の夕刊に出す小説がありません」って、ほんとに涙目になってね。


【先生】 困ってたんですよ。それで、あんまり可哀想だから、うちにあった銘酒をあげて、励ましてあげたんですよ。その朝比奈青年が、去年、毎日新聞の会長になったわけですよ。そぃで手紙が来てね。あのときの御礼ですって、食事に招いてくれたりして……。


【一同】 いやぁ驚いた、大出世ですね!


【先生】 あの涙目の青年が、新聞社の会長になるとは、私もずいぶんと長いこと生きたもんだと思いますね。 これ、私が80くらいで死んでいたら、わからなかった顛末ですよね。


【雑談おわり、ついでに豆知識】 アタック25の司会者だった俳優の児玉清は、救心製薬のイメージキャラクターでもあったが、その広告で随筆春秋の裏表紙を飾っていた。





引き続き、2017年12月のご指導から、「晩鐘」について。


【石倉】 私は先生作品の中で「晩鐘」に一番こころを打たれたのですが、ご主人のことについても、恩讐を超えた人間観察をなさっていると思います。うまく言えませんが……。


【先生】 我々は生きているときに、さまざま出会う現象の中で生きているのであって、現象だけを見て「この人はこういう人だ」、「ああゆう人だ」と、理解したつもりでいるのだけれど、その眼はその人の本質までは届いていないわけですよね。現象だけ見たら、彼(ご主人のこと)は、どうしようもない人なんですよね。なぜこんな男なんだろうという疑問があったわけでね。それが「晩鐘」を書こうと思った動機なんです。


【先生】 でも結局それは、わかりっこないんですよね。それが当たり前であってね、つまり、受け入れるしかないってことなんですよ。人間関係っていうのは。だからそれは離れてみて、向こうが死んでしまって、何の現象も私に及ぼさなくなったときに、だからわかるようになったというのが、実際のところだったんです。


【池田】 ご存命のときは、色々と腹の立つことも多かったように拝されます。


【先生】 そう、それはいろんな現象を起こしますからね。受け入れているように見えても、本当に心から受け入れているのじゃなくて、怒りながらというか、やけくそというか……、


【石倉】 先生が受け入れて下さるから、ご主人もまた来るということでしょうか?


【先生】 だからそれは、卑俗な言葉でいえば、舐められていたっていうことですよね。


【杉浦】 別れたあとも平気で上がってきて炬燵に入ってくるところなど、とても印象に残りましたけれども……。


【先生】 うん、結局人間として、彼を見た場合、彼なりに一生懸命に生きたというね。そういう気持ちが、彼だけではなく、すべての人間に対して持てるようになったというのが、晩鐘を書いてからなんです。彼は彼なりに一生懸命に生きたという、すべて許せる気持ちになれたというのが、九十年という時間が必要だったわけですよ。長生きしなきゃ、わからないわけですよ。


【先生】 晩鐘の本が出まして、すぐ読んだ人に、「佐藤さんはやはりご主人を、愛しておられたんだわ」と感想を言われて、ちょっとムカっとしたの……。そりゃね、私は人間として彼を許すというか、認めるという境涯に立てたのであって、「辛かったろうな、こういう人生は」という人間愛にたどりついたのであって、夫婦愛とか、男女間の愛とか、そういうもんじゃないんですよ。


【先生】 で、彼に対して抱いた人間愛は、プラットフォームで大笑いしていたホームレスに対して、私が抱いた感情とと同じものなの。だから私は、よく怒る人間として知られているけれども、怒りながらも愛しているというか、人間であることを愛しているというか。それがなかなか、わからなかった。


【先生】 これはしょうがないんですよ。これは私の未熟なところというか。それがやっとわかるようになった。長生きしてもロクなことはないけれども、良いことがあるとしたら、それですね、うん。





引き続き、2017年12月のご指導から、最近の随筆春秋について。


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あのねぇ、私、今日、随筆春秋の皆さんがいらっしゃるというから、新しい号から、あらためて読んでみたんですよ。久しぶりに読んでみると、何というか、文章が雑ですね。書いているときに、この言葉が正確かどうかということを考えながら書いていますか、皆さんは。 つまり、うまい文章を書くという事と、正確に書くということとは、違うんですよ。


うまい文章じゃなくて、正確に書くということのほうを、あまり頭に置かれてないんじゃないかな、と感じました。あの、言葉に対する感覚がね・・・・・・。こないだねぇ、私はある文芸誌で対談したんですよ。そこで昔のエピソードを紹介しました。



私が女流文学賞を受賞したとき(1979年)に、中里恒子さんと同時受賞だったんです。その時に河野多恵子さんから電話がかかってきて、「中里さんが 『佐藤愛子みたいなのと同時受賞なんかじゃ、私の沽券にかかわる』 とエライ怒ってるわよ」 と言われたんです。


そりゃあ私はユーモア小説を書いたり、少女小説を書いたり、いろんなことをしてる作家でしたし、向こうは純文学一筋の人だから、そりゃもう、純文学作家の意識ってもんが、私もわかりますからね。怒るのは当然だろうなぁと思いましたから、何とも思わないんだけれども。


河野さんが「だから佐藤さんねぇ、授賞式の時にね、あなたが立ち上がって賞状を貰いに行ったら、そのときに中里さんが、パッと足を前に突き出してね、つっ転ばそうとするつもりらしいわよ。だからね、気をつけたほうが良いわよ」って。


また河野さんっていう人は…(笑)、まぁ純文学作家っていうのは、変なところがあるんですよ。我々みたいな雑駁な人間じゃないからねえ、何というか、子供みたいなことを言う事がよくあるの、純文学の人は……。


それで私が娘相手に、表彰式の練習をしたの。

「佐藤愛子さん」   「はいっ!」

立ち上がって歩き出すと、娘がパッと足を前に突き出して、すかさず私は、

「ヤッ!」 と跳び上がって足をまたぐっていう……。


そんなことをしたんですよ、って、対談の中でしたんですよ。それが記事になってゲラが送られてきたときに、読むとね、「まさかとは思うけれども、私は足を飛び越える練習を娘相手にしたのよ」 と書いてあったんです。


そうするとね、この「まさかとは思うけれども、」というひと言が入っているためにですよ、こっちが面白半分にやってることがね、あの、真剣に受け取ったということになるでしょう?


それだけね、たったひと言のために全体が変わっちゃうんですよ。言葉っていうものはね、それくらい短いひと言でも、良く考えなきゃなんない。


だからそれを書いた編集者が、常識的なクソ真面目な人でね、ふざけたり、面白がったりするっていう感覚がわからない人だから、そういう風にひとこと書き足したのか、その辺は本人に聞いてみないと、その意図はわからないけれども、


全くそれじゃ、なんか私がものすごく真面目なね、クソ真面目な人間でね、一生懸命稽古したみたいになっちゃうから、ニュアンスが全然変わってしまうんですよ。


つまり佐藤愛子というのは、そういう場合に普通の人のように、怒ったり滅入ったりしないで、そういうふうにふざけて面白がって、そして、不愉快なことをいなしてしまうっていう、それが佐藤愛子の生き方であるっていうことが、その短いエピソードの中に籠っているわけです。それを私は言おうとしているんです。


それが「まさかとは思うけれども、」というひと言のために、全然無茶苦茶になってしまう。ベテランの編集者らしいけれども、それがわからないのか、と思いながらその部分を消したんですけれどね。向こうはなぜそこが消されたのか、わからないとは思うけれども……。


あのぅ、言葉の使い方というのは、ほんのちょっとしたことで、全体のニュアンスが変わるんですよね。


それでね、今日は暇だったから、朝から随筆春秋をみっちり読んだけれども、ほんとに無造作に言葉を使っています。で、あのう、皆さんあとで掲載作品を合評したりするんでしょ?そのときに文章については、あまり論じないで、書かれている内容とか、その背景とかにばかり目が向いているんじゃないですか?


そっちのほうにばかり関心が向いているなと思いましたね。だけど、正確に書くというのは細かいことだけれども、とても大切なことなんですよ。


随筆春秋の作品の中でいうとねたとえばここに、「とかなんとか……」とあるでしょう? なんで「とかなんとか……」という言葉を使うんですか。軽い気持ちで書いたんでしょうけれども、軽い気持ちで書くもんじゃないって言うんですよ、私は。こういうところまで神経を配らなければならない。


「とかなんとか……」というのは喋り言葉なんですよ。文章に使うべき言葉じゃないの。だから、それだったら作品全体を喋り言葉で統一するんならいいけれども、そうじゃなくて、ここだけ喋り言葉が使ってあるというんなら、軽い気持ちと言いましたけれども、読者にはそれがすぐわかるの。(笑) 


この作品は全体に軽く書こうとしていますよ。でも、ここだけ浮いちゃっているのね。


※ このあとはコンクール入選作品個々の講評をいただきました。入選者の皆さんには、それぞれお伝えしてあります。





2016年6月、事務局員がうち揃って、先生の自宅を訪問したときのご指導から。

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結局ねぇ、小説というものは、何を書くかというテーマと、登場する「人間」を書くというのが基本なんですよ。それで、随筆の場合はあまり人間を追及するよりは、作者の考え方とか、感じ方とかね、そういうものが出ていれば良いとされる場合もあるわけです。

随筆でそう長々と書かれた作品というのはありませんからね。でも私は小説家ですから、どうしても 「人間」 がきちんと描けていないと、不満を感じるんです。

今度の随筆春秋の中では、率直に言って、わずかに上木さんがお書きになったものが優れています。人間をちゃんと見て書いていて、とても読みごたえがあるんです。
そう、この「無頼の日々のこと」という作品です。青春時代の放蕩物語ですね。

一人一人の登場人物が、よく、目に見えるようなんです。これはやっぱり、作家の資質なんですよ。資質としては・・・・・・ああ、やはり若い頃は小説家志望だったんですか。道理でね、やっぱりそうなんですよ。

だから、我々日常生活の中で、「あ、こういうことをやったから、この人はこういう性格なんだな」って、無意識のうちに判断して、頭の中に取り入れている。それが作品を書くときに、なぜか出てくるんですよね。

だから、作家の資質のある人っていうのは、本能的にって言い方はおかしいけれど、理屈抜きに取り入れているんですよ。だから、ああ、これは上手いな、よく見て書けているなという箇所が出てくるんですよ。ああ、見ていたんだなという箇所がね。

代打橋荘のおカミさんが、
「熊さん、お願いだから牌をたたきつけないで頂戴な、雀卓がこわれるじゃないの」
と、いつもこぼしているのだった。

と、これでわかるんですよ。雀荘のおカミさんという人のキャラクターが、目に見えるようだし、熊さんという客のあれもわかるっていう、たった2行か3行で。

それは恐らく実際に上木さんが、60 年前に見たものでしょうけれども、これを覚えておいて、いつか作品に書いてやろうと思っていたわけではない筈なんですね。

とにかくエッセイを書いているうちに、そういうものが見えちゃう、気が付いちゃうという資質、これが作家の資質なんですよ。これがなかったら、作家にはなれないんですよねぇ。

だけど随想を書くときには、作家の資質が絶対不可欠なものではないんです。自分の気持ちっていうものを、人にわかってもらうように書く能力さえあればいいんです。

そうすると私の講評っていうのも、無駄に厳しすぎて、皆さんのためにはなっていないんじゃないか、と思うわけですよ。私が良くない、不足だと思っても、別の見地から言えば 「それで良い」 になるのかも知れません。 そういったところを、わかって聞いて下さいね。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

随筆というものは何のために書いているのか、何を書きたいのかというところが、しっかり書かれていると、読んでいる人の面白さでもあり、書く人の発見でもあるんですよね。

だからそれがねえ、ちょっと私、あらためて読むと、そこんところが最近の随筆春秋の皆さんの作品から抜けてきているんじゃないかなぁという気がするんですよ。

で、あのう、例に挙げて申し訳ないんですが、池田さんは親しまぎれだから、悪い例として少し言わしていただくけれども、今回の 「運命の赤い糸」 という作品のことです。

一応あなたはまぁ筆の立つ人だし、これで通るエッセイなんだけれども、これを書くことによって何を言いたかったかということは……。

「運命の赤い糸」 というテーマは思い付きですよね。
思い付きで書かれたんじゃ、困るわ。 ホッホッホッ(笑)。

だから簡単に最後の方でね、あのう、

「この世には、男女を結ぶ運命の赤い糸というものがあるのだそうだが、どこがどんなふうに絡んでいるのか、凡人には見えないらしい。私たちの身の上に起きたことも、今となっては赤い糸の仕業としか言いようがないのだが、こうした人生の機微がわかるようになるまで、娘には内緒にしておくつもりである」

という最後の6行で、これだけの作品のまとめをしているわけですよね。

「こうした人生の機微がわかるようになるまで、娘には内緒にしておくつもりである」というけれども、こうした人生の機微というのは、赤い糸によって左右される「運命の赤い糸」というものと「人生の機微」というものが、イコールになっているのかねえ。

「こうした人生の機微」という言葉の選び方がね、ちょっと私は杜撰だと思うわけですよ。だから、ここに書かれているのは人生の機微じゃなくて「概略」なんですよ。あらまし。
あらましが、あの、割と、なんていうか無造作にあっさり書かれている。

それを「赤い糸」で締めくくれば、それで作品になるというふうに思っているとしたら、それはちょっと、あのう、軽率だと。

 赤い糸なんて、そんなものはどうだっていいのであって、で、あのう、この作品に登場する何人かの人達が、どんな思いで今日まで生きてきたかという、その概略がここで書かれているんだけど、その時々の、あの、「思い」っていうものがわからないんですよ。

えーっとねえ、たとえば 「瓢箪から駒というべきか、それがきっかけで本当に交際が始まり、私たちは結婚を意識するようになった」 とあるけれども、そこねえ 「瓢箪から駒」 という言葉で説明しちゃっているわけですよね。

だから 「彼女には彼氏がいた」 んでしょ?

それで 「彼の干渉が厳しすぎる」 ということで「私」に愚痴をこぼしたわけですよ。
それにたいして「私」が 「そんなに嫌だったら、いっそのこと彼と別れて僕と交際しないか」 と言ってしまったと。

それを 「瓢箪から駒と言うべきか」 という言葉であっさりとした、極めて簡単な、経緯をですね、「瓢箪から駒と言うべきか」 という言葉を持ってきて、ごまかしちゃっているんですよ。
これは説明でも真理でも何でもない、ごまかしの言葉なんですよ。 「瓢箪から駒」 というのは。

それがきっかけで本当に交際が始まったとしたら、何か随分、簡単ですよね。
だから何か、そのあとも簡単なんですよ。

このときに当事者の心理の表現というものが不足しているから、簡単にやっつけているように思えちゃうのね。





そのう、 「ふられることになって彼は驚愕したが、彼女の気持ちが既に自分にはないと分かると、俺は苦しいけれど、あんたの幸せのために、池田さんとの未来を心から祝福するよと言って潔く身を退いてくれた」 とあるけれども、これ、あっさり潔く身を退いてくれたとしたら随分立派な男性ですよね。武士のような、侍のような。


ここで、やっぱり彼が苦しい果てに彼女の幸せのために決心したというふうに、そこに苦悩の影というものがあるはずなんですよ。それは全然、作者が思いやってないの。


で、瓢箪から駒ということで、なんか簡単にここを通り過ぎて 「さらに私は彼女の両親にも気に入られず、彼と比較されて随分結婚に反対されたが、妊娠という既成事実まで作って説得した結果」 とあるのね。


これは結婚したいためにわざと、あの妊娠をさせたのか、それともたまたま妊娠しちゃったか、だからそれを口実に親を説得したのか、ということもわからないわけですよ、この書き方では。だから本当にあっさりしているのね。たまたまこれは妊娠したんでしょう?


で、池田さんのほうは? えっ? そこまで覚悟が定まっておりませんでしたって?


そこよ、それを書くべきなのよ。それが何かねえ 「妊娠という既成事実まで作って説得した」 と言うとね、非常に計画的に妊娠したというように読み取れるでしょう?そういうところが大事なんです。


妊娠に関して、自分は成り行きでなったのだけれども、妻の方は成り行きではなかったわけですよね。そこにやっぱりね、本質的に男と女の違いがあるんですよ。ね、男はいつだってそうなんです。成り行きでやるんです。だからそういうふうに書けていれば、「ああ、男っていうものはこういうもんだなあ」と読者は思うわけですよ、ね。


 うん、それから 「しかも何かといえば妻は彼を家に呼んで、赤ん坊だった娘を囲んで行動を共にしたがった。私は呼び出しに応じる彼の神経を疑ったが、彼から出産祝いの品々を貰って無邪気に喜んでいる妻にも違和感を持った」 と続くわけですが、ここはとっても正直に書けていて、この作品の中で、ここが一番良いと思います。


「しかしそんな事を口に出すと、器の小さい男だと軽蔑されそうな気がしてじっと辛抱した」 という所に書かれている 「口に出せない」 という男意識ね、ここにきて初めて人間性の説明というものが出て来るわけです。それまでは一体、あなたの奥さんがどういう人間なのか、わかんないんですよ。


 ただ池田さんのところだけは、あなた自身のことだから 「器の小さい男だと軽蔑されそうな気がしてじっと辛抱した」 と書けたんでしょうけれどね。そういうところに人間の面白さがあるわけなんですね。


あの、そんなところに目を付けて書くと言うのが、こういうものの面白さなんですよ。


ああ、なるほど本当だろうなあ、と思わせるのね。だから、こういう文章があっちこっちにあれば良かったけれど、奥さんの気持ちを洞察する力量が、池田さんにはなかったのかも知れないけれども、書くからには、それを洞察しなければいけないわけですよ。


だから、その頃からわからないままにね、あのう、付き合ってきて、で、だからそれは普段の付き合いでは良いけれど、まず、原稿用紙に向かった時はね、違う自分にならなきゃいけない。見極めようという気持ちになって。


そういう意識が大事だと思うんです。それが書くことの意味なんですよ。


だから書くことの意味についてね。あのう、今まで私、皆さんに言わなかったですけどねえ、随筆春秋の皆さん、ある程度のレベルに来られたから、私の言うことがわかるだろうと思って言うんですけれどもね。


だから池田さんの作品の終わりの方で、 「こうした人生の機微がわかるようになるまで、娘には内緒にしておくつもりである」 と言ったって、これがいかにも浮いているんですよ。 人生の機敏なんて考えたことのない奴が言うな! という感じ……。


はい、池田さんへの話はこれでお終い。 うふふふふ。 


★★★★★★★★★★★★




で、今回の近藤さんの「自由研究の成果」っていうやつなんだけど、池田さん、近藤さんとお会いになる? そう。 だったら伝えて頂きたいんだけど、ちょっとこれ、軽くまとめてあるわねえ。

ええ。 だから近藤さんほどの書き手になったら、 こうやって、さっとまとめておこうということなんだろうけれども、私、こんど近藤さんに会ったら言おうと思っていたんだけれども、それに慣れちゃうと、ダメよっていうことなのよ。 うふふふふ。

これなりにまとまっているんですよ。……だけど、まとまっているっていうだけの話だからね。うまくまとめてあるから、これねぇ、プロの商品として通用するかも知れないけれども、
近藤さんのレベルとしては、こんなものを書いていてはダメッて言いたいのよねえ、私は。



近藤さんへのご指導が厳しいのは、佐藤愛子先生の期待の裏返しです。
どれほどの作品を書く人かというのは、下記のリンク先をご覧ください。



こんけんどうのエッセイ

Coffee Break 別邸 〜 essence of essay 〜





平成29年 第22回 随筆春秋賞コンクール授賞式にて


竹山洋先生より、エッセイ初心者に対する指導


今年ちょうど還暦を迎えられた女性の受賞者から、こういう質問がありました。


 このたびは名誉ある賞をいただき有難うございました。自己紹介のときにも述べたのですが、初めて投稿したエッセイでこのような賞を頂くことができ、嬉しく思うと同時に、この年でさらなる野望を抱きました。 (会場笑い)


 と言いますのは、私の故郷は北国の山の中なのですが、すでに廃村となり、住む人もいなくなりました。せめて自分がエッセイとして書き残せたら、と思い立ったのです。


 そこでブログというほどのものでもありませんが、スマホを使って少しずつ思い出を書きはじめてはみたのですが、それをうまくまとめて、筋が通るようにして行くことができず、困っています。今のままでは自分自身が読み返してみても、全然面白くないんです。


 ですから、面白みってものが感じられるものを書くにはどうしたら良いのか、どのような訓練を積んで行けば良いのか、を教えて頂ければと思います。



 それに対して竹山先生は、このようにお答えになりました。


 あのですね、面白いものを書く才能とか、感動させる文章を書く才能というものを、論理的に咀嚼して身につけようとするのは、人間として無茶な試みなんです。


 一番大切なことは沢山の量を書くことなんです。沢山書いていけば、自然に読者を面白がらせたり、感動させたりする作品を、いつの間にか、いくつか、自分のものにすることができるんです。


 だから一番ダメなことは、迷って筆が進まないというのが、困るんです。


 小さな表現一つでも迷ってしまって筆が進まなくなることがありますよね。

 星が「キラキラと輝く」にするか、「燦々と輝く」にするか、それだけのことで一日中迷って筆が進まないことだってある。そういうのが一番困るんです。


 私もスランプに陥ったときがありました。そういう時、夢のお告げで 「万年筆を変えれば、また書けるようになる」 と言われたんです。そのすぐあと、甲府の武田神社に詣でた帰りに「山梨万年筆商会」 という文具店があるのを見つけ、入ってみたら夢に出てきた万年筆があったんです。そのペンだけ、なぜか燦然と金色に輝いていました。


 値段はとても高かったけど、思い切って買いました。(10万円とのこと)


 そしたらその後は、迷うことなく筆が進むんですよね。

 それまでは、「どの言葉を選べば、読者の胸に食い込むか」 ということを悩んで筆が止まっていたのが、もう気にならなくなった。


 それはそうでしょう、読者がどう思うかなんて、自分は読者じゃないんだから、一晩じゅう悩んで考えたって、わかるわけがない。今まで、それを気にしていた自分がいた。それが気にならなくなった。夢のお告げに出てきた、新しい万年筆に変えたら。


 だから貴女の場合も、原稿用紙に書こうが、スマホに打ち込もうが、貴女の書いたものに間違いはないんだと、自分は故郷のことを書くんだと、自分には書けるんだと、自分にしか書けないんだと、そう信じて、好き勝手に、信じたままにお書きなさい。


 まずは沢山お書きなさい。自分を信じること。そこからです。




堀川とんこう先生と竹山洋先生より、若人への指導


現役大学生の受賞者から、こういう質問がありました。


 私は現在文学部の仏文科に在籍しています。小さい時から文章を書くのが好きで、詩を書いたり、俳句や短歌を学んだりしていまず。今回は家族のことをエッセイとして書いて賞を頂きましたけれども、実は最近、文科省から理系重視の通達が出され、大学の中には文系廃止を検討する所も出てきたと聞いています。


 現に私も学生仲間から、「こういうことになった以上、今から文学部出てどうするんだよ。経済学部のほうが良いじゃん」 と言われたこともあります。でも、どうなんでしょう。私はたまたま教員免許を持っていますが、大学で学ぶ学問というものは、就職に有利なのかどうなのか、という尺度だけで考えなくちゃいけないんでしょうか。


 先ほど先生方のお話の中に、書くことと格闘して生きるとか、死ぬとか言うお話が出ていましたけれども、今の時代はそういうことって考えちゃいけないのかな? そういう風潮なのかな? ものを考える人間は要らないよ、という政治的な風潮になってはいないかな?、と思うわけなんです。


 特に今の総理大臣になって、そういう傾向が強くなっているように思うんですけれども、先生方はどうお考えですか?



それに対して堀川先生は、このようにお答えになりました。


 私も文学部ですから、英文科ですけれども。 私はテレビ局に入ってからですね。報道部の人間から、俺たち報道部の仕事は、明らかに世の中の役に立っているけれども、あんたが作っているドラマってやつは、いったい何の役に立つんだ、という絡まれ方をすることが、よくありました。


 そのとき私が冗談交じりに言い返していた言葉は、じゃ、人生お金だけではありませんと報道で言えるか? 言えるものならニュースで言ってみろ、と。ドラマでは言えるんですよね、人生お金だけではありません!っていうふうに。つまり世の中について語れるのは、文学だけなんですよね。


 もちろん文系のほかの学部、すなわち史学、哲学、法学というものも、人間を主人公にして人生を学ぶということを、やっているわけですけれども……。


 つまり経済だけで人生について語ることはできないと思います。経済ではモラルが語れないのです。 今、世界的に経済至上主義が、あらゆる局面で行き詰まりの原因になっていると私は見ています。


 そういう意味では益々、文学というものの必要性が増していると思います。皆が文学に親しみ、できるならば良い作品の作り手にも、ならなければいけないと思います。文科省や大学が文系を軽視する傾向にあるというのは困ったものですね。



続いて竹山先生からは、次のようなお話がありました。


 うん、まず言っておきたいのは、キミはイイ男だねえ。(会場笑い)


 さて、私の感想になるけれども、今年七十歳になって感情の沸点というものが非常に下がってきました。しかしながら最近の作品には、容易に感動できないものが多い。むしろ昔のものに良いものがたくさんあります。


 たとえば先日、ああ、文学の力というものはこういうものだなぁ、という作品に出会いました。それは幸田文さんの「父・こんなこと」というエッセイ集です。父・露伴を介護し、看取るという作品ですから、明るいことばかりは書いてないのですが、こういう作品を読むと、私はとても幸せな気分になれます。


 それから最近あらためて読み返したのが、深沢七郎の「楢山節考」です。私の友人の嵐山孝三郎が師と仰いでいた人物で、嵐山と話していて、思い出して読み返したわけですが、やっぱりすごい力を持っている作品ですよ。


 やはり文学というのは、人を幸福にさせるというか、堪能させるというか、我を忘れさせる働きがあるんですね。だから紫式部もシェイクスピアも、千年経とうが五百年経とうが、いまだに読み継がれているのでしょう。


 だから文学部を無くそうだなんて、とんでもない話で、俺が総理に言っておいてあげるよ。キミは心配しなさんな。(会場笑い) むしろ文学部は一番大切な学部だと思います。ちなみに私も文学部です。







平成27年 第20回 随筆春秋賞コンクール授賞式にて


佐藤愛子先生より


「ちょうど私が88の時のことですけれども、仕事も少なくなり、日々ぼんやり座ってましたら、ふと、50くらいのときに古神道研究家の相曽先生から、佐藤さんは90まで生きるよと言われたことを思い出しました。そうすると私は90で死ぬのかなぁ、なんて思って……」


「今いくつだ、あとたった2年じゃないか、こうしてはいられない、と急に慌てまして人生の最後にもう一つ作品を仕上げたいと、『晩鐘』という作品に取り掛かったわけです。まあ、調子に乗るまでに相当苦しみましたけれど、だんだん90歳に近づいてくるもんですから、早く書かないともう、死んじゃうからと、気が急きました」


「朝10時に書斎に入ると、夕方4時までは籠って小説を書き続けたんですが、納得いかずに書き直してばっかりで、あっという間に2年間経ってしまって、まだ書き終わらなかったんです。ようやく書き終わったときが91歳と5カ月ぐらいでした」


「それで、大げさに言うと命がけで書いているもんですから、力が入るんですね」


「だいたい私は、何かにつけて力が入る人間でして……。万年筆で書いているんですが、筆圧が高いもんで、しょっちゅうペン先がダメになって修理に出さなければならず、セーラー万年筆の社内でも、なんて筆圧の高い作家だろうと有名になりまして……」


「腕は腱鞘炎になりまして、痛み止めの注射を射ちながら、書き続けておりました。『晩鐘』を書き終えたときには、もう限界だったんですね。これ以上の注射は危険、もう手術するしかない、と。私は『晩鐘』というと、私の、この右手を捧げた小説だと思っております」




「これでもう人生最後の作品も書き終えたし、あとはゆっくりしようと。そうすると朝、起きました時にね、今まで創作のリズムで生活のリズムが成り立っていたものが、パタリと途切れてしまったんです」


「なにしろそれまでは、寝床の中でも、さあ今日はこれを書くぞと考えてから、パッと飛び起きていたものが、もうその必要がないわけで、寝たままでいたって構わないわけです。そんな生活が2、3カ月も続きますと、だんだん、うつ病みたいになってしまったんです」


「男の方が定年退職したあとに、うつ病みたいになるという話は、よく聞いておりましたけれども、まったく自分もそうだったんですよ。頭を使わなくなると、いわゆる“アホ”になってしまうわけです。娘なんかにも 『その話は、もう3回聞いた』 とか言われますし……」


「それで私、腱鞘炎の手術をする決意をしたわけです。手術してもう一回、ほんの短い、軽いもので良いから、書き続ける生活を取り戻そうと。そうしますと、やっぱり頭を使いますから。それで、死ぬまで保たせようと。“アホ”になっては困りますから……」


「だから皆さんも、お書きになることを、今からプロ作家になろうと思っていらっしゃらないにしても、ずっと続けていかれることをお勧めします」


「とにかく何んにもしないってことは、人間、ダメなんですね。何らかの仕事をするように、最期まで働くように、神様は人間を創っておられるんだなぁと思います。これが昨今の私の感想でございます」






平成26年 第19回 随筆春秋賞コンクール授賞式にて


佐藤愛子先生より


「あのう、先ほどから皆さん一人一人の話を聞いておりまして、とても面白く思いました。これだけの人数が集まりますと、短いご挨拶であっても、その背後のそれぞれの人生や生活がある程度想像できましてね。そういう意味で私は、人間ってものがとても好きなんです」


「こないだも佐藤さん、趣味は何ですか?って人から聞かれて、私は世間で言うような趣味は持たないけれども、人間が趣味だっ!と答えましたら、相手の人はあっけに取られてましたけれども、私の趣味は人間だから小説を書いてるんだなぁと、自分で思います」


「随筆春秋を読むのは、毎回とても私、楽しみでしてね。市販されている商業雑誌よりも、こういう同人誌のほうが、作為的でなくて、稚拙なんだけど、その中から、いろいろな人生模様が見えてくるのが、私の人間を求める趣味の気持ちを、満たしてくれるんですよ」


「それで、随筆春秋の皆さんにも親しみと言いますか、感謝と言いますか、そういう気持ちを持って、今日ここに伺ったわけです」




「先ほどの堀川さんのお話は、私も大変勉強になりましたけれども、作家の方にはいろいろありますけれども、私自身は読者のことをあまり考えないで書くというのが、私のスタンスなんです。私のような、ふてぶてしい人間になりますと、読者がつこうがつくまいが、わかろうがわかるまいが、そんなものは構わないと……」


「私は私の書きたいように書いて、それに感動してくれる読者がいれば、100人のうち1人か2人か、いてくれればそれで良いと、私は自分のために書くんだ、そういう気持ちでやっております。だから作家の中でも、佐藤愛子は生意気だとか、変な奴だという評判になっているんだと思いますけれども」


「随筆春秋で書いていらっしゃる皆さんが、何のために書いているかということですよね。あんまり書きたくないのに、斎藤さんが書けというから書く、お題が出るから、それに対して頭をひねるということだったら、書かないほうが良いだろうと思います」


「書きたくなったときに、書きたくなるようなものを、日常の中で、しょっちゅうアンテナを張り巡らして、あっ、これを書きたい、これを書いたら面白いだろうと、そういう材料に出会ったときに、芯があるものが書けるんではないかと思います」




「だから、まあ、さっき堀川さんがおっしゃった、作品は最初の一行が大切だというのは、確かにその通りだと思いますけれども、私は自分の気持ちのままに第1章を書いて、2章はちょっと変わった気分で書いていきたいと……」


「3章は2章の続きで良いかな、いや、ここで気分を変えたいとか、全部、気分なんですよ。だから、何ともそのう、テクニックとか、そういう事は、人に教えられない……まあ、他の作家の方はどうか知りませんけれども。だから私は、あまり皆さんにお教えすることは、できないんですね」


「随筆春秋コンクールの応募作を拝見しても、私のハートにピピッとくる文章は、あぁうまいな、これは正確だなと思うと、これは良いと言うし、何の私の琴線に触れないものは、いくら巧妙に書かれていても、優秀賞にはしたくないし」


「だから反省してみると、私が随筆春秋の選者みたいな立場にあるのは、あまり良くないことではないかと、思うんですけど……」


「考えてみましたら、私がものを書くようになって65年になるんですね。他のことを何もできない人間だから、しょうがなしにずっと作家をやってきた、というわけなんです」


「その65年の間に、自然に培われてきた、ひとつの感性みたいなものが、できちゃっているんです。結局、長いこと書き続けていると、作家としても、どうにかなっていくというのは、その人独特の、個性的な感性が生まれるからだと思うんですよ」


「だから皆さん、書きたいように書けば良いというのが、結局私が伝えたいことかなぁ、という気がするんですけれども、 それしかないような気がするんです 」




「若いころ、井伏鱒二さんの作品に傾倒しまして、井伏さんの真似をして、つまんない文章を書き散らしていましたけれども、それを同人仲間に笑われていましたけれども。やはり井伏さんの一行一行っていうのは、一字一句ゆるがせにぜずに、選び抜かれてるっていうことが、よくわかりますとね、私には、とても井伏さんの真似はしきれない、と……」


「でもこれはしょうがないんですよ、それぞれの持って生まれたものだから。そういう性分で、皆、書いているんで。だから、随筆にも小説にも、いろいろな形のものがあるんです」


「たとえば、山ア豊子さんはストーリーテラーで、次から次へと面白い小説をお書きになるけれども、私はストーリーというのを作れないんです。だから私が人気作家の中に入らないのは、ストーリーが作れないせいじゃないかと自分で思っているんだけれど、だからストーリーを作らなければ、とは思わないわけです」


「自分は自分の持ち味で勝負しようと。皆さんも自分の持ち味は何かということを見つけるというのが、スタートでしょうね。いや、それがスタートなのか、それとも書き続けているうちに、それが見つかっていくものなのかは、よくわからない、人それぞれですからね」


「私は毎年、これが最後の作品かも知れない、もう次を書く前に死んでしまうかも知れないと思い続けて、とうとう90歳まで、きてしまいましたからね」


「もう体も年相応に弱ってきていますし、90になると、考えるのは、この世におさらばすることばかりなんですよ。そういうギリギリのところで、こうやって大声を張り上げてしゃべっているっていう、私も随分変わった人間なんですけれども……」


「だからですね、努力とかね、努力して書き続けるとかね、そんなもんじゃないんです。私にとっては書くことが 生きる っていうことなんです。 私にとってそうなんだから、皆さんにもそうしなさいとは、言いませんけれども……、 佐藤愛子はそうやって書いてきたと、思ってくだされば幸いです。 ありがとうございました」







平成24年 第17回 随筆春秋賞コンクール授賞式にて


佐藤愛子先生より


「モノを書くというのはやっかいな仕事です。書きたいとか、書かなきゃならないという書く動機は、人それぞれなのですが、大体プロの物書きはへんてこな人が多いんです。最近は変じゃないまともな人も作家になるようになりましたが、残念な事に常識的な人は小説が面白くないですね」

「昔、自分の若い頃は、作家というと皆おかしな人ばかりでした。友人で言えば川上宗薫も遠藤周作も十分、奇人変人でした。そういう自分も奇人変人の仲間の一人だったのかと思いますけれども。もっとも最近は友人が皆鬼籍に入ってしまって、私も一人ぼっちになってしまいましたが・・・」

「今回、受賞作を初め随筆春秋の作品を読んでみました。皆、巧みに書かれていて、中には舌を巻くような良い作品もありました。作家は日常の生活が書くという事とつながっていることが大切です。しかも人間を描くということができていないといけません。人間を描こうとするときに、相手の気持ちを慮っていては、本質を鋭く抉ることはできません」

「ともかく私から見た真実はこれだと信じる事を書き切ることです。皆さんによくよく申しておきたいのは、真実なら悪口であっても悪口とは受け取られないという事です。相手から、私にとっての真実はこうだと言われても、それに影響される事なく、自分の感じたことを率直に書く事です。そうすれば相手もわかってくれます」

「とはいえ、やはり相手を本気で怒らせてしまっても、まずいでしょう(笑)。作家は恥をかく事が大切です。大いに恥をかき、それに耐えられる精神がなければ、プロの作家になるのは諦めたほうが良いですね。人前で恥をかく、人に迷惑を掛ける、それが小説というものです」

「昔、私が愛子という作品を上梓したとき、室生犀星という有名な作家に贈呈致しました。私は面識のない方でしたが、その方から“モノを書くというのは己を切り、親を切り、兄弟を切り、友を切るということです”という葉書を貰いました。そういう事なのです。本質的にモノを書くというのは、他人の思惑などは知った事じゃないということで、やっかいな仕事です」

「もしも憎まれたり、呆れられても仕方ないと思って書けば、周囲もこの人はそういう人だからと慣れて来るものです。私の家族は無頼の集まりでしたので、協調という要素は美徳ではありませんでした。父も兄もそれは大変な人達でしたから。皆さんも周囲を気にし過ぎず、己の書きたい人間を描くことに専念して下さい」

「それから話が長くなりますが、説明と描写の違いについて触れておきます。最近は新聞や雑誌の記者といった文章を生業としている人でも、それがわかっていない人がおり、残念に思っています。最近もある婦人雑誌の記者が“東日本大震災に関連して復興をテーマにした特集を組みたいので、佐藤先生には終戦直後の様子を教えて頂きたい”と、インタビューにやって来ました。そこで私は以下のような話をしました」


☆☆☆

 終戦直後と言いましてもね。日本中、どこもかしこも焼け野原でしょ。食糧難で配給もろくになく、男の人は闇市で外食するわけですよ。少し前まで敵として戦ってきた米軍、進駐軍の台所から残飯の捨てるやつをガーッとかき集めてきて、大鍋に入れて味付けは塩をぶち込んだだけの食事を売っていましてね。栄養スープと称して10円でした。残飯ですから海老の尻尾は入っている、ガムの噛んだカスが入っている、まあ、それは良い方でね。時には金属のスプーンやフォークが、そのまま入っているわけですよ。文句なんか言えませんわね、元々が残飯を漁ってきたんですから。それをお金出して買って食べて栄養を付けて、そうやって戦後の復興をしてきたわけですよ。働き盛りの男の人達がね・・・。

☆☆☆

ところが届いた雑誌の記事にはこのように書かれていた。

★★★

 作家・佐藤愛子が語る戦後復興。
 終戦直後、闇市で栄養スープなるものが売られていた。進駐軍の給食の残飯を集めて煮込んだもので、価格は10円だった。残飯ゆえに中には海老の尻尾やガム、スプーンやフォークまで混入していることもあったという。そんなものまで食べて人々は戦後の復興に尽くしたとのこと。




「皆さん聞き手としてどうです、全然違いますでしょう?私は雑誌記者に請われて戦後の風景を描写して伝えたんです。ところが向こうは字数制限の関係か、〜があった、〜があったと説明しているんです。説明じゃ真実は伝えられないんです。作家としてモノを書いているとそれがわかるんです」

「どんな思いで日本人が戦後復興に取り組んだのか、書くということが、思いにつながっていないといけないんです。物事の本質を伝えるには、描写するという事に拘らなければいけないんです。書いて行く事で人間というものの本質に近づきたい、私がモノを書く理由はそこにあるんです」

(閑話休題)
 会食中、佐藤愛子先生が隣席の堀川とんこう先生に、最近は映画やTVを撮っているかと聞かれた。堀川先生は「最近は仕事がなく、撮っていません。仕事を貰うにしても現場の長が私の息子ぐらいの年齢に下がってきていて、お互いにやりにくいのです」と答えた。

佐藤先生は「映画やTVは組織でやる仕事だから大変ね。一人でやっているのが気楽よ」とおっしゃっていた。


堀川とんこう先生


「私は十数年前にTBSの定年を迎えまして、そのことを自分の母(実業家・堀川とし)に告げようとしたのですが、どうも照れ臭くて言い出せませんでした。その理由は、親として子供の私の事をずっと『大した人になる』と信じて待ってくれていた母に、『立身出世にも、大金持ちにもならずに定年を迎えました』というのが、どうにも恥ずかしかったのですね」

「隣席におられる佐藤愛子先生とは、自分が30代の時に『愛子』という作品のドラマ化のとき大変お世話になり、以来私の心のお母さんなのですが、やはり今日のような席で久しぶりにお会いすると、何か恥ずかしいような照れ臭いような、居心地の悪さを感じます」

「妻(脚本家、作家の高木凛)は若い頃、脚本家として実績もあったのですが、気の毒なことに私との結婚後、仕事が来なくなりました。要するに他局であれTBSであれ、現役のプロデューサーである私に色々な話が伝わるのを敬遠されたのでしょう。ところが私が引退すると、そうした障害がなくなり、色々新しい仕事依頼が入るようになって活き活きと飛び回っています」

「先ほど佐藤愛子先生から描写と説明の話がありましたが、私の見る所、男性は説明に陥りやすいと思います。女性はそのときの情景を良く覚えていて、細かく描写する能力に長けています。そこに男性女性間の断絶の原因もあるように思います」

「夫婦喧嘩などでも、女性は具体的な事をよく覚えています。男性からすると、そんなことを覚えていて、またそんなことを今持ち出して、一体どういう意味があるんだと思ってしまうわけです。男性の場合は仮に細かく記憶していても、その記憶情報の意味を考えるということで忘れないという事があるのですが、女性は事柄そのもので記憶してしまいます」

「男性と女性で文章に本質的な違いがあるのは仕方がないとも言えましょう」





平成26年1月、布勢博一先生を囲んでの事務局勉強会にて。
以下、布勢先生のご指導。



☆☆☆

あのですね、「人を感動させる作品を書くコツ」 などというものはないんです。
人が感動するのは、自分の「思い」によってするんです。

だからね、思いを引き出せる作品が良い作品だということは言えますよね。
思いを引き出すには、相手の想像をかき立てる余地を置くことなんです。

私の娘がまだ5歳くらいの時の話なんですがね、与太郎噺をしてやったんです。

与太郎が夜空に向かってしきりに竹箒を振っている。
親父が 「おい、何してるんだ?」 と尋ねると、与太郎は汗を拭き拭き、
「なに、箒でお星様をはたいて取ろうと思ってね」

それを聞いた親父が 「馬鹿やってんじゃねえ。そんなんで取れるもんか……、
どうせなら、屋根に登ってやれ」

娘はそこまで聞いて 「与太郎も馬鹿だけど、お父さんも馬鹿だねえ。
屋根に登ってやったってお星様に届くわけがないのに」 と言って笑いました。
私も 「そうだね、馬鹿だね」 と笑いました。

すると娘が 「どうせなら、東京タワーのてっぺんでやらなくちゃね」 
と、真顔で言ったんです。 私は大笑いしましたよ。

あるとき、この話を2代目の桂枝雀にしたんですよ。
枝雀は感心して、 「オモロイお嬢さんですなぁ」 と言いました。
そしてすぐさま、こう話のオチをつけんです。

「場面が変わりまして、ある山里に住むおばあさん。
 しきりに夜空を気にしておりましたが、おじいさんを呼んで言いました。
 おじいさん、見てくださいな。今夜はどうも星の数が少ないような気がしますよ」

私はそれを聞いて、さすが名人枝雀だと感動しましたよ。

与太郎噺は滑稽の配列が A→AA なんです。
うちの娘がさらに AAA と重ねました。聞き手はもうお腹いっぱいなんです。

もしも、 AAAA という滑稽の積み重ねを聞かされても、
くどいなぁ、と思うだけで、もう誰も笑わないでしょう。

枝雀は、Aの羅列から離れて、ポンと別の場面を持ってきた。
これで聞き手はどうでしょう。

与太郎だか、5歳の女の子だか、あるいは自分自身だかが、
夜空を竹箒で掃いて星を落としている様子を、
それぞれ自由に、空想の羽を広げて楽しめたのではないでしょうか。

以上です。皆さんの創作の参考になりましたでしょうか。


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