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2018年10月、事務局員がうち揃って、湯河原にある堀川とんこう先生のご自宅 兼 喫茶店「宮上倶楽部」 を訪問したときのご指導から。


【先生】 今回、第50号を読ませて貰ったわけですけれども、相変わらず多彩な作品があって楽しませて貰いました。その中で良いなと思った作品の一つに、近藤健さんの「北国で暮らす覚悟」 があります。


近藤さんはさすがに手練れの書き手で、エッセイというものをどう書けば良いかを心得ていますね。そして、よく推敲された文章だと思います。作者が書こうとしている内容と、その文体がマッチしていると、大変良い作品になるのだということが、彼の作品を読むとわかります。近藤さんは、どの程度の作品を、どの程度のリズムで書けば良いかが良く分かっていますね。


ある人は作品の冒頭に 「私は石橋を叩いて渡る性格だ」 と書いてありますが、そのあとも石橋を叩いて渡るような、慎重な筆の運びになっています。橋を渡ってどこへ行くのか、なかなか読者に先が見えてこない、こういうのはどうだろうと思うんですね。


それに比べて竹山洋さんの文章なんかは、かなり橋げたの隙間が開いた吊り橋みたいな感じがあるけれども、橋が揺れるのなんかは委細構わず、乱暴に駆け抜けて行くって、それはそれで楽しいものがあるんです。皆さんも 「どこか飛ばせるところがあるんじゃないかな」と思ってスピードを上げるっていうことも、大事なんじゃないかなと思います。



第50号掲載の杉浦さんの作品 「救い」 について。

かつてベンチャービジネスに成功して飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、メインバンクの破綻で3億円もの借金の返済を急に迫られ、自殺まで考えたという辛い経験を書いたもの。


【先生】 大変なご苦労をなさいましたね。それがよく伝わってきます。でもそのことをセンチメンタルに振り返るのではなく、客観的に観察して書けたところが功を奏しています。


【杉浦】 ありがとうございます。内容が深刻なときには、かえってユーモラスに書きたいんですが、私はそれがまだできないんです。少しでもそれができるとよいのですが、どうすれば良いでしょう。


【先生】 佐藤愛子さんを例に取りましょうか。あの人も夫の借金で苦しんで、そのときの経験を 「戦い済んで日が暮れて」 という作品に書きました。ラストシーンで娘とふたり散歩に出て、環7に架かる歩道橋の上から、轟音を響かせて走る車列に向かって、『うるさいぞォーッ、バカヤローッ』 と叫ぶんです。


私はあの場面が一番傑作だと思っています。すなわち 「自分を戯画化する」 「自分を笑ってやる」 そういう余裕がないと、シリアスな素材でユーモアを生み出すということはできないと思います。


ただ 「自分を笑ってやる才能」 というものは私にもなくて、佐藤愛子作品を読むと 「さすがだ」 と思うばかりですね。辛いことがあればあるほど面白く書くことで、プロとしての境涯を磨いて前に向かって拓いてきたというのが佐藤愛子なんでしょうね。






宮上倶楽部の庭には大きな池があります。堀川先生がその池に鯉の稚魚を放流しました。するとどこからか白鷲、青鷺が飛んで来て鯉を食べてしまいます。困った先生は「鳥追い磁石」を池のほとりの木々に仕掛けました。効果はてきめん、鳥が来なくなりました。





2017年11月、事務局員がうち揃って、布勢先生の自宅を訪問したときのご指導から。

第48号に掲載した作品を朗読して、先生の感想をうかがった。


1.熊澤依子さんの「さくら」に対して。

  年のせいか、なかなか作品が書けなくなったという内容。


【先生】 書けないときは書けないんです。僕はよくわかります。僕なんかもテレビの仕事を沢山していた頃は、実に筆が進みませんでした。そうすると本当にイライラしたものです。


熊澤さんは書きあぐねたときに、何かの刺激が欲しくて、雨の中、近所の桜並木を見に行ったんですね。そして若い桜を見ているうちに、自分の中にある種の勇気が湧いてきた。桜の木に書くきっかけをもらったというわけですね。


私の場合はいま書きかけていることとは正反対の、「海難審判の記録」だとか、「動物図鑑」「植物図鑑」とかの、無関係の本を読むと、それをきっかけに今まで見えなかったものが何となく見えてくるんです。するとやっと筆が進む、そんな経験をしましたねぇ。


2.熊沢聡子さんの「母と息子は夢遊病」に対して。

  休日の朝、作者の枕もとで息子のスマホのアラームが大音量で鳴った。

  その音で作者は無理やり起こされたが、隣室で寝ている息子はまったく起きない。

  お互い夢うつつのまま、親子のバトルが始まったという話。


【先生】 夏目漱石にも「夢十夜」という作品がありますのでね、これは夢遊病という題ですから、夢うつつの感じがする作品も悪くはないんですけれど、しかし僕自身の 「読者としての欲張りな欲求」 を叶えて欲しいので、いろいろ申し上げますね。


まず、作品の構成のことです。作者が読者をどこに連れて行きたかったのか、それがわかりにくいです。結局何がいいたいのか、伝わりにくいのです。


次に息子さんとのバトルのこと。原稿用紙2枚目まで、実は息子さんであることを伏せたまま、「その男」と作者との格闘が具体的に書かれているのですが、これでは読者が 「何が何やらわからないまま、ずっと引っ張っていかれてしまう」 印象を受けてしまいます。


それから作品の冒頭のところです。「休日。早朝。犬の散歩。」と、文章を非常に短く句点で区切っているのですが、これは何か作者の特別な意図があるのですか?


大きな意図がないのなら、このように短くぶつ切りにしたり、文中に体言止めを多用するのはやめたほうが良いです。本筋とは関係ないところで読者に、「何だろう、これは何の意図だろう?」 と余計なことを考えさせてはいけません。


3.石倉初枝さんの「義母の初恋」に対して。

  百歳を超える姑が、16歳のころの奉公先で、年下の素敵な坊ちゃんに出会った。

  そのときの話を、今になっても繰り返し作者にする。

  作者にはそれが「義母の初恋」のように思えるのだが……。


【先生】 これは大変微笑ましいエピソードで、好感の持てる作品でしたが、話の組み立てに、もうひと工夫があればと思いました。作者がお姑さんに 「お義母さんは、坊ちゃんが好きだったのね」 と言うと、「初枝さん、何言ってるの」と否定されます。


そのあとこの作品は、あれこれ説明になってしまうのですが、本来、そこから先もお姑さんとの台詞のやり取りだけで、話を進めたほうが良いと思います。たとえば、「だけどお義母さん、いまでも坊ちゃんの消息に、やけに詳しいじゃありませんか」 という具合に。そうすると作品にリズムがついて、とても良くなるでしょう。


ところで話は全く違うんですが、私もずっと昔、80年以上も前のことで、ひとつ未だにはっきりと覚えている、ということがあります。











2015年5月、事務局員がうち揃って、布勢先生の自宅を訪問したときのご指導から。


【先生】 熊澤依子さんの「12月8日に思う」という作品は、あの戦争を体験したものなら、生涯忘れることのできない一日を描いた作品ですね。 


(注)真珠湾攻撃による日米開戦当時、布勢先生は10歳、熊澤さんは7歳。


熊澤さんの娘さんが中学生のころに、「どうしてお母さんは、戦争反対を叫ばなかったの?」という質問をしたというのは、しごくもっともなことだと思います。


しかしそんなことを口に出せる時代じゃなかったですね。それをどうやったら、今の若い人たちに伝えられるか。今の若い人たちは、いとも簡単に 「平和」 を口にし過ぎてはいないか。そんなことを考えさせられる好編でした。


現在の熊澤さんの目に映った、野球に興じている少年たちの将来に思いを馳せる、という構成も良かったですね。文章の流れがとても良かったと思います。


書き手の膨大な思いが根底にあるとき、その説明や台詞をそのまんま膨大に書き入れてしまいがちですが、実はそんなことを延々と書きこむ必要はないんです。書き方というのは工夫次第なんですね。


【先生】 これは、津軽のほうの話なんですがね。「どさ」「ゆさ」 で通じるというんですよ。

「どさ」→どこへゆくの?

「ゆさ」→お湯へ行くのさ、という意味の会話が通じるんです。


では皆さん 「な、ん、く、く、け、ん、め、め」 とは、どんな意味かわかりますか? じつはこれ、年ごろの娘と若者の、ほのぼのとした会話なんです。


娘 「な?」 いそいそと、おにぎりを差し出す。

若者 「ん」 おにぎりを見てうなずく。

娘 「く?」  食う?(食べる?)と聞く。

若者 「く」  食う、と答えるが手を出そうとしない。

娘 「け」   食え、(食べてちょうだい)と促す。

若者 「ん」 うん、わかった、と答えて一口ほおばる。

娘 「め?」 うめえ?(美味しい?)と聞く。

若者 「め」 うめえ、(美味しい)と答える。


【先生】 作品の中に 「Aさん」 とか 「Bさん」 という呼び方を使うのは、避けた方が良いですね。脚本で 「A」 とか 「B」 と書いてあって、役者さんがそれを演じなければならないとき「あなたAさんですよ」、と言われてもやりにくいでしょう? 私はどんな時でも人名は、それらしい名前を考えて書き入れました。


それでも仕事に追われてアイデアが湧かないときなど、苦しくて仕方がないわけです。そういう時は、山手線の路線図を持ち出しましてね、駅名を人名にするわけです。田端さん、上野さん、浜松さんとか、いくらでも見つかりますでしょう。 そういうことです。









今回のコンクールでも、応募した段階でプロになる切符を手にしたかのようなお手紙を書いてこられる方がおられたので、「プロになる」ということについて、布勢博一先生のご指導を掲載することにしました。随筆春秋コンクールは文章を書くことが好きな人に向けての公募の場であり、プロ作家への登竜門ではありません。



事務局・池田の作品に対する佐藤愛子先生の、どこがダメかというご指導







【先生】 この作品は、最初のところの「祖母はもう身支度を整えて待っていた。持ち物は風呂敷包みが一個だけ」と、ここは良いです。凛とした貴方のお祖母さんのイメージが、ちゃんと浮かぶの。池田さんは前にもお祖母さんのことを書いた作品があったけれど、そのとき私が抱いたイメージと、今回のこの描写がちゃんと合っているわけ。


次の「趣味の俳句に生き甲斐を見出して多忙を極めていた」というところ、言葉の選び方が良くないわね。「多忙を極めていた」なんて堅苦しくて、浮いてしまっています。ここは当時、九歳の貴方の目を通して感じたことなわけだから、表現も柔らかく、「いつも忙しそうだった」くらいのほうがいいでしょう。


こういう堅苦しい表現はあとのほうにも出てくるのよね。貴方の特徴というか。「それから一週間も経たぬうちに母は逝った。享年三十四歳」というところ、どうして「享年三十四歳」と切ってしまったのか、わからない。こんなところは切る必要がないでしょう? まるでセンスがない。読んだ時の文の感覚が固いんですよ。文章はもっと柔らかく書くものです。


次の「小さな手によって母の瞼がこじ開けられ、痩せてひときわ大きくなった目がじっと宙を見つめていた」の部分、これは幼い妹が、お母さんの目をこじ開けて、見開かせることで、お母さんがまるで生きているかのように感じるわけで、それを兄にも感じさせようとするわけでしょう? 貴方はそのときどう思ったの? 妹の心情や自分の心情が全然書かれていないわけ。書き込み不足なんです。


また、そのあとで「父は怒気を含んだ顔で」とあるけれども、お父さんはどうして怒気を含んだ顔になるの? 文面からだけだと、浴衣をうまく脱がせられないことにいら立ったように書いてあるけれども、実際のお父さんの心の中には、妻の死に対して無力だった自分自身に対する自責の念というか、追い込まれていた様々な状況があって、正常な精神状態にはなかった筈なんです。だから女性陣に白装束への着替えを頼むのじゃなく、男兄弟に助けを借りようとするなど、混乱しきった行動に出ているわけ……。


それを幼い妹さんが「止めて!」と叫ぶわけだけれど、ここではお母さんの裸をよその男の人たちに見せたくない、という哀切な心情が感じられるの。でもね、書かれていないんですよ、そういう、とても大事なところが。文学的な表現どころか、単なる説明さえもされてない。これじゃダメなんですね。


そのあとの「父もまだ若かったのだ」という一文、作者は深く考えもせず、聞いた風な結論をもってきたわけだけれども、ここも良くありません。読者は、そんな単純な結論に納得できないんじゃないかなと思うんです。今の池田さんは、当時のお父さんの年齢をはるかに超えているわけで、もっとお父さんの心情をきちんと刻めるように、ここは格闘しなくちゃならない部分なわけですよ。


最後の「未舗装の砂利道」というのもダメね。未舗装だから砂利道だったんでしょ、当時は。だったら「未舗装の」というのは要らないわけなんです。


池田補足:作品の途中で子規や(佐藤先生の御父上の)紅緑ら四天王のことが書いてあったのは、私としては佐藤先生に何か言って欲しかったからですが、講評では完全にスルーされました。先生は私の講評をして下さったあとは、まったく休憩なしに、そのまま次の人の作品の講評に入られました。先生のご指導は一瞬も気が抜けない真剣勝負です。




事務局・上木啓二さんの作品に対する布勢博一先生のご指導






【布勢博一先生の感想】


 上木さんの今回のエッセイ心に染み入りました。

 一枚の浮世絵から思いを江戸時代まで遡らせる。そこには高層建築もない、信号機などもない、江戸の庶民の生活が生で描かれている。

 私は失明してからは絵を見ることがなくなっていますが、どなたかの解説付きでもいいから古地図や浮世絵を手にして江戸の町を巡ってみたいと思いました。

 上木さんの筆づかいもいつもより闊達で、大変読みやすく書いてありました。

 本当に私が失明しているのが残念です。目が見えていたならば、是非是非、上木さんと一緒に古い江戸の町を巡ってみたいと思いました。そんなことを思わせる良いエッセイでした。


注・先生はいつも随筆春秋のメンバーに「講評というのは大仰なので、私の個人的な感想だと思って受け止めて下さい」 とおっしゃるため、【講評】ではなく【感想】としました。



 事務局・近藤健さんの作品に対する布勢博一先生のご指導



【布勢博一先生の感想】


 何とも楽しいエッセイですね。


 アメリカあたりではジョークの言えない人間はバカにされる傾向があるようですが、近藤さんの作品を読んでいると、確かにくだらないダジャレではありますが、まるで料理の中の調味料のように心に残るギャグですね。


 もっとも場合によっては、その場にいる人たちの顰蹙を買うことにもなりかねませんが、そんなことは構わないじゃありませんか。それよりも近藤さんのギャグを聞いて、クスっと笑える方が、どれだけ人生を明るくすることができるか。


 素敵なギャグというものは、あるいは笑い話というものは、聞く人によっては生涯忘れることができないものになるのだと思いますよ。






平成30年 第23回 随筆春秋賞コンクール授賞式にて


竹山洋先生より、随筆のネタ探しについてのご指導


ある参加者から質問がありました。


「私は随筆春秋に入って今年で11年になりますけれども、子育ても終えまして、夫婦2人の生活では変化に乏しく、随筆の題材を探すのに苦労しております。竹山先生は70歳を過ぎてこれだけ沢山の作品を書いておられて、ネタ探しはいつもどうやっておられるのかなと、不思議でなりません。参考になることを教えて頂ければと思います」


竹山「ネタにはねえ、私も毎回困ってるんですよ。随筆って怖くてね、作りごとが書けない。随筆の骨法の一つにウソ書いちゃダメだっていうのがある。私は出身が脚本家なもんでね。ものごとを脚色する、いわばウソを書く。ウソ専門チャンネル!」


「ウソでメシ食う竹山かなっていうぐらいでね。そのウソが上手ければ上手いほどいいっていうのが脚本家の世界なんですが、随筆はまったく逆で、ありそうにもないことを書くと、

それは本当にあったことですか? という投書が来るんですね。たとえ事実であっても……。だから私は随筆というのは苦手で、書くのに時間もかかります」


「ネタになりそうな題材というのは、自分の周囲をしっかりと観察していれば沢山あるんです。この表彰式も立派なネタです。しかし何月何日何時から表彰式がありました、楽しかったです、とのみ書いたのでは作品にはならない。たとえば(会場を見渡して)うん、司会がそこにいるわけだけれども、池田さんの司会ぶりはこうだああだと焦点を絞る、そういうことを突っ込んで書くと随筆らしくなるわけです」


「しかし優れた作品となると、焦点を絞るだけではまだ不足で、読者をいかに楽しませるかということを考えなければならない。特に私に関して言えば、短い枚数であってもお金を頂いて書くわけだから責任がある。読者にカタルシスというか満足感をどう得させていくかということが問題になってくるわけです」


「出来事を、細かく細かく全部書くという手法もありますね。受賞作にもスズメを題材にした作品がありましたけれど、私も住んでいるマンションのベランダでスズメに餌をあげているんです。マンションでスズメを飼っちゃいけないんですけどね(笑)、自分で楽しんでやってる」


「朝4時半ごろ起きて、死んだお袋に供えた御飯(おっぱん)をスズメにあげるんですけどね。表面固まってカラカラになったやつを、見つかると女房に怒られるから、そうっとベランダに持ち出して、砕いて撒くんです。最初はスズメもすぐつつきにきたりはしなくて、電線に一羽だけ止まって撒かれた御飯をじぃっと見ている」


「そのうちチュンチュン、チュンチュンとさえずって、仲間を呼ぶんですね。するとあっという間にスズメの仲間が集まってくる。鈴なりになって電線が真っ黒になるほどです。そしてベランダにやってくる。そうすると、どこからかムクドリがやって来る。スズメたちは彼と仲良くするんじゃなくて、攻撃するんですね」


「その様子を私は離れたところで煙草を吸いながら見ている。いやこれは面白いな、楽しいなと思って見ているわけですよね。それをこうやって細かく細かく皆さんに伝えることで、自分が楽しんでいる気持ちを共有してもらう。そういう書き方もあります。まずは自分が書いていて楽しいことを書く。それがコツです。結論は、ネタはどこにでもある、あとは自分の決意次第、ということですね」




受賞者からは、こんな質問がありました。


「随筆や小説に取り組んでいて、自分の語彙力のなさを痛感しています。対策として昔の名作を読み、名画を見ています。美しい所作とその表現、美しい台詞など、日本人としての核を学ぶには、誰のどんな作品が良いでしょうか。お勧めを教えていただければ幸いです」


堀川「邦画だと小津安二郎監督の作品が良いですね。小津の代表作5本を5回ずつ観ると、貴女がおっしゃった美しい所作、美しい台詞などが身体に沁みつくようになります」


「文豪であれば夏目漱石です。漱石は何回も何回も繰り返して読むことが大切です。人によっては漱石の作品は音読をしたほうが良いという人がいますが、それくらい読み込むべきだということでしょうね」


「この“身体に沁みつく”というのがとても大切なことなのです。いろいろな時にふとその言葉が頭に浮かぶまでに、自分を鍛えていくことが大切です。そうなるとその文体は自分のものになるでしょう」


「脚本なら山田太一脚本集というのが沢山出版されていますから、これを読むと良いと思います。彼の文体というのは饒舌体とでも名付けるべきか、登場人物が全員おしゃべりなんです。私からすると “喋らせ過ぎですよ、山田先生!” という感じなんですけれども……」


「とにかく全員が雄弁なもんですから、個性が消されちゃって皆同じに見えます。しかし文体の勉強にはなりますよね。登場人物が自分の気持ちを台詞で説明する、それがうまいんですよ、なるほど!っていうぐらい……。ことばを研究するのであれば、私は山田脚本を読んでみることをお勧めします」





事務局・熊澤依子さんの作品に対する佐藤愛子先生のご指導




【先生】 熊澤さんの、この「母と子」という作品は抜群に素晴らしいわねえ。
随筆春秋はじまって以来の名作なんじゃないかしら。

いい作品には別に言う事はないんですよ。
もう 「これは良い」 と、ただそれだけ。 私が言う事はないんですよ。

でもここには池田さんのような若い人たちもいるわけだから、一体全体なにがいいのかということをお話ししますね。この作品を良くしているのは作者の「観察眼」です。しっかりと現象を観察して、心にとどめているわけ。

【熊澤】 佐藤先生、恐れ入ります。そんな大層なものではなく、私ときたら、何か珍しいことに行き会ったら、じぃーっと見る癖があるんです。それだけなんです。

【先生】 あらまあ、そうなの……(笑)。だけどもちろん見た現象を、そのまま書いていれば、良い作品というわけでなく、どこの部分を選んで文字にして作品とするかは、熊澤さんの八十歳を超えた人生経験がなければ、浅いものになってしまうんでしょうけれどね。

たとえば初老の婦人の容姿を描写しているところで、白髪交じりの上をさっぱりとしたショートカットにし、 Tシャツにジーパンという軽装だが、頬には隠しようのないやつれが見えるという部分、これまでのその母親の苦労がよく伝わります。それから、

母親が息子に向かって一声発した。 「窓!」 小さいが、きっぱりした一言だった。という部分の 「窓!」 というのは、よく描けていますね。この一言で母親の性格がよくわかるの。

そしてこの作品の締めくくりの部分、何も起きずに母と子は雑踏の中に、ただ消えて行くわけだけれども、作者の心の中には別離の哀感のようなものが強く残るの。これで、作者の感じたことが読者にも伝わるんですよ。

作為的でなく、事実を書いてあるだけで胸の奥にずんと来るの。

こういうのが良い作品なんですよ。熊澤さんはもともと上手い人だけれど、この作品でエッセイのコツを掴んだと言っても良いと思います。


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